『私とは何か――「個人」から「分人」へ』平野啓一郎:自己をとんでもなく整理できる読書体験

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今週の書評は昨日予告した通り

平野啓一郎さんの『私とは何か――「個人」から「分人」へ』です。

平野さんのことは

佐渡島庸平さんがやられているコルク所属の作家さんという認識しかなく

これまで著書を読んだことがなかったのですが

彼の提唱する新しい単位、「分人」のことを

佐渡島さんの著書『ぼくらの仮説が世界をつくる』(やべー、これの書評もまだかけてない。。)で知り

非常に興味を持ったので今作を手に取った次第です。

さてそもそも「分人」ってなんやねん!という話だと思いますが

すごく簡単に説明すると

これまで分けることができないと思われていた「個人」という単位をさらに分解すると

「個人」の中には

それぞれの人や物に対して別個の「分人」という存在があるという考え方。

「個人」という単位で世の中を眺めると

ある人に対してはこんな顔をしているのに

別の人に対してはこんな顔をしているという現象を

裏表のある人間だという風に

なんだか悪い方向に捉えがちでした。

でもそれって普通の人が普通に生活していれば当然のように起こりうることですよね。

僕も職場の人と大学時代の友人では

話し方や接し方が全然違いますし

さらに言うと

家族や恋人といるときは

さらに全く違う人間のように振る舞うことがあります。

でもこれは僕が裏表のある人間だからではなくて

それぞれの人に対してそれぞれの自分=分人が存在し

それぞれが本当の自分であるからだというのが平野さんの考えです。

で、「分人」という概念を軸に物事を捉えてみると

人間関係とかコミュニケーションをする上での

悩みなんかがすごくしっくりと説明できて

僕はとても衝撃を受けました。

たとえば僕には

自分にとってとても居心地のいい場所とそうでない場所があります。

「個人」をベースにしたとき

居心地の悪い場所は

自分の能力が足りないからだとか

自分には合わない雰囲気だからとか

論拠のすべてが自分をベースとした考えをするしかありませんでした。

しかし「分人」をベースにしてみると

責任の半分は相手にあることになります。

コミュニケーションとは共同作業であり

その場で出すことのできる「分人」の半分は

相手に依存しているからです。

つまり

そこで自分が出すことのできた「分人」があまり好きではない=あまり居心地が良くないという現象は

その場に居合わせた人に少なくとも責任の半分は依存するという風に捉えることができるのです。

ちなみにいうと

これは居心地のいい場所というものが自分だけのおかげではもちろんなく

その場に居合わせた人が理由であるということにもつながります。

他にもなんで自分はこの人が好きなんだろう?とか

どうして人が死ぬと悲しくなるんだろう?とか

その手の話も「分人」をベースにすることで

自分の中ですごく腹落ちして捉えることができました。

僕の拙い説明を読むよりも

本書を読むほうがすんなり理解することができるので

みなさんぜひご一読ください。

僕は週に1冊は必ず本を読むようにしているのですが

この数年でトップクラスの衝撃を受けた読書体験でした。

自分の考えや出来事を

とんでもなく整理することができる概念との出会いだったかというのが

ここまで読んでよかった!と思える読書になった理由だと思います。

別にこの概念を受け入れることができなくても

こんな考え方が世の中にはあるんだと知ることができると意味で

本当に面白い本だと思います。

ぜひぜひ読んでみて、

感想を教えてください。

したっけ、またね!

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