誕生日に思ったコミュニケーションのあり方と言葉の重さ

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実はわたくし、

10月25日が誕生日でした。

26歳。

いわゆるアラサーですねー。

僕は人生が楽しくなってくるのは30歳から!だと思っているので、

そこまで抵抗はないのですが。

10年後の36歳は結構くるかもしれないですね。

結婚しているかも全然わからないし。

子どもは欲しいんだけどなあ。

とかとかってことを

なんとなく振り返る絶好の機会が誕生日なんだなって改めて思いました。

で、

そんな日にすごく感じたとあることがあって。

なんとなく備忘録的に書き留めておこうかと思いました。

ちょっと普段の内容とは異なる感じになるかと思いますがご勘弁ください。

なにを感じたかというとですね。

「言葉の重み」みたいなものがどんどん軽くなっているんだろうなあということ。

思えば昔の誕生日って祝ってくれる人がとても限られていたと思うんですよ。

家族や本当に仲のいい友達はもちろん祝ってくれますが、

そんなに仲良くないクラスメイトや同僚は

「ああ、あの人誕生日らしいなあ。でもそんなに仲良くなし」って感じでスルーしていた気がしていて。

だからこそおめでとうと直接言ってくれる人はとても大切な存在に感じていました、少なくとも僕は。

でも最近は、

Facebookの「今日は〜さんの誕生日です」という通知の元、

まあ来るわ来るわ。笑

別にそれが悪いとは全然思わないんですよ。

人になにかを伝えることに対するハードルが下がり、

デジタルコミュニケーションが活発になることで、

みんなが手軽に繋がることのできる時代って素晴らしいと僕も思います。

でも、

じゃあその人たちは直接会った時に果たして僕のことを祝ってくれるんだろうか?とも思っちゃんですよね。

なぜかLINE でメッセージをくれる人の方が

きちんと自分のことを考えてくれている気がするという謎現象も起こり。

それは開かれたコミュニティであるFacebookとワントゥーワンのツールであるLINEの違いなんだと思いますが。

ここまで手軽に気軽にメッセージを送ることができるようになると

もはや逆に連絡をくれない人の方が気になってくる気もします。

人が想像している以上に僕たちは様々な情報という言葉を受け取っている時代なので、

あえて「伝えない」というコミュニケーションが実は大事になってくるのかも?となんとなく思いました。

かなり支離滅裂な内容になっている気もしますが、

とりあえず26歳の誕生日に

コミュニケーションのあり方と、

言葉の重みについてふと考えさせられた

そんな1日だったというご報告です。

したっけ、またね!

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