『空白を満たしなさい』平野啓一郎:誰しもの救いになる一冊

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本日は芥川賞作家である平野啓一郎さんの小説、

『空白を満たしなさい』の書評です。

平野さんの作品は

新書である『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を読み、

そのあまりにも分かりやすい新しい概念に衝撃を受けたのですが

今回の小説は

その概念を

登場するキャラクターに語らせ

彼らの中でそれがどのように浸透していくのかということが描かれていたりします。

自分が考えた概念を

小説のキャラクターに語らせるというというのは

まさに小説家にしかできない手法だなあと思いつつ。

ただこの小説の素晴らしさは手法ありきのものではありません。

そう、

この作品

とんでもなく面白いです。

2016年になりまだ3ヶ月しか経ってないですが

もう僕の中の2016年ベスト作品にあげてもいいくらい。

そんな衝撃を受けた素晴らしい小説でした。

主人公、土屋徹生は自身の勤務する会社の会議室で目を覚まします。

なぜ会議室で寝ていたのか?なぜ前後の記憶が曖昧なのか?

疑問を持ちながら帰宅した徹生に妻の千佳は「あなたは3年前に死んだ。それも自殺で」という衝撃の事実を明かします。

時を同じくして、徹生のような一度死んだにも関わらず生き返った人々「愎生者」が世界中で現れます。

徹生は本当に自殺したのか?なせ復生者は現れたのか?

といのが大まかなストーリーになります。

前半は

徹生が自分の自殺を信じることができず

当時の記憶を探りながら自分の死の真相に迫っていくというミステリー風の作りであり

後半は自分の死の真相を知り

そこから再度どのように生きていくのか?ということを描きます。

後半部分に関してとても重要な意味を持ってくるのが

「分人」という平野さんが提唱する新しい概念なのですが

それに関しては上記にリンクした僕の書評をみたり、

それこそ作品を見ていただければいいと思います。

純粋に単純にこの小説が

なぜこんなにも僕の胸を打ったのかということを考えてみると、

普通の人である徹生が自分の死とその後の復生を通して

これまでの人生での過ちや失敗を振り返り成長していく姿に

自分自身を重ねることができ

そこに救いが存在することが大きいのかなあと思います。

僕は以前から

人が物語を求めるのは大きく3つの感情が関係していると思っていて。

それは共感と憧れと禁忌。

この3つのどれかをフィクションを通して感じたい、得たいと思うから人は物語を求めるのだと思っています。(あくまで持論です)

それでいくとこの『空白を満たしなさい』は

明かに共感の要素が強い作品です。

作中で徹生が聖人と評するポーランド人のラデック。

彼は京都に滞在中、

たまたま火事の現場に出くわし

巻き込まれた人を助けようと燃えさかる炎に飛び込み結果命を落とします。

その後複生者として復活するわけですが

そんな彼がこんなことを作中で話しています。

「土屋サン、私の死が、私の数々の罪を帳消しにし、私の人生を全面的に肯定するなんてことがないように、あなたの死が、あなたの行ったすばらしいことをすべて台なしにして、あなたの人生を全否定するなんて、そんなことは決してないのです。決してありませんん。」

(『空白を満たしなさい 下』58Pより)

僕はこの言葉に自分の人生を救われた気がしました。

僕は自殺をしたわけではないし、

正直考えたこともないけれど

これはどんな人いにとっても救いになる言葉だと思います。

終わりよければすべてよしなんて言葉より

こうやって謙虚に

一歩ずつ生きることの方がよっぽど価値があるんだと。

そして目立ったり

誰かに認められることが必ずしも素晴らしいことなわけではないんだと

それを英雄的な死に方をしたラデックが話すからこそこの言葉はとても重みを持ってくるんだと思います。

要するに僕がなにを言いたいかというと

徹生という普通の人間=読者が

彼の失敗とその意味を

きちんと救ってくれる話になっているのが

この作品の素晴らしいところであり

それがフィクションの素晴らしさだと思います。

非常に文章が長くなってしまったので

今日はこの辺にしますが

「分人」の考え方も含めて本当に面白い作品です。

ぜひ、皆さん読んでみてくださいね。

したっけ、またね!

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